ワセダのことば The words in Waseda University

カテゴリー: 班員のつぶやき

  • 大好き、キャンパス言葉

    大好き、キャンパス言葉

    1  キャンパス言葉との出会い

     「馬場歩き」、「本キャン」、「ワセメシ」……

     早稲田大学には、ユニークな「キャンパス言葉」があちこちに存在しています。皆さんも、上記のような言葉をきっと一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

     皆さんは、ご自身が初めて出会ったキャンパス言葉を覚えていますか?

     私が初めてそれと出会ったのは、憧れのキャンパスに足を踏み入れてから間もない大学1年生の春、当時所属したばかりだったサークルの先輩が一言「明日は自主休講しようかな」とこぼした日に遡ります。…「自主休講」。本来公的な休講という措置を、自主的にやってしまおうという、ある種仰々しくも軽みのある響き。

     当時の私は「面白い先輩だなぁ」と思うだけで、まさかそれが「キャンパス言葉」という大きな大きな氷山の一角であるとは思いもしませんでした。

     ここからは私がこの研究班で学んだことを交えつつ、キャンパス言葉についていくつかお話ししたいと思います。ぜひ気楽に読んでください。

     キャンパス言葉は、ある種の流行語のように捉えられがちですが、実はそれとは一線を画した性質を持っています。流行語とは若い世代が中心に用いるという点では確かに共通しているのですが、流行語はある一瞬のタイミングで社会に大きく広まり、徐々に衰退してしまう一方で、キャンパス言葉はそうではない [米川明彦, 『集団語の研究 上巻』, 2009]、というのです。「今でしょ」とか「倍返しだ」なんて言葉を聞くと、懐かしいあの頃が思い出されますが、今日改めて日常的に用いることはありませんよね。それに対してキャンパス言葉というのは、時代が下ってもその場所に残り続ける言葉。学生一人に焦点を当てれば、確かに学生時代を過ぎれば使わなくなっていく言葉ではあるのですが、時代の流れによって完全に衰退してしまうわけではありません。一人一人は大人になるにつれて使わなくなってしまうかもしれないけど、それを次世代の学生が受け継ぐことによって、その土地、早稲田大学に残り続ける。そういう点で、キャンパス言葉は他の集団語と一線を画すわけですね。…こうやって聞くと、キャンパス言葉が何だかかけがえのない宝物のように思えてくるものです。

     

    2 唯一無二の言葉

     他大に通う友人に「あなたの大学に特有の言葉って何かある?」と聞いても、これといって思いつかない、という答えが返ってくることもしばしば。その大学にしかない言葉、というものが存在するのは実は珍しいことらしい。そうなってくると、早稲田の学生たちが機転を利かせて生みだし、それを面白いと思った人たちが受け継いできたユーモラスな「キャンパス言葉」の数々が、途端に愛らしく見えてくる。

     研究班ではそんな愛らしいキャンパス言葉の実態を調査し、その存在を示すためにそれらをまとめた辞典の編纂を行っております。キャンパス言葉をまとめるにあたり、まずキャンパス言葉の実態を調べる必要がありますね。そこで今夏、早大生の皆さまへアンケートを実施、たくさんのキャンパス言葉をお寄せいただきました。どれも当意即妙、よくこんな言い回しが思いつくものだと感心するものも多い。そういう言葉たちが徒に燻っているのは非常に惜しい、是非とも流行ってほしいなぁ、と思うわけです。

     現在は、お寄せいただいた言葉を辞書に載せる上で、何度かにわたる選定を行っております。不本意ながら選定から溢れてしまった言葉もユニークで面白いものばかり。それを我々だけが独り占めするのは残念でなりません。そこで、惜しくも候補から外れてしまった輝かしいキャンパス言葉のいくつかを、この場を借りて、ここまで読んでくださった皆さまだけにこっそりご紹介いたしましょう。

    • あいこうしんうぉーたー【愛校心ウォーター】

    アンケートで学生さんからお寄せいただいた言葉。自販機で早稲田大学のオフィシャルウォーターである「早稲田の水」を購入することを指すそうです。愛校心を手っ取り早く示せていいですね。最近少し値上がりしてワンコインでなくなったことで、さらに愛校心を試されているような心地がします。

    • ぜんきゅう-てんのう【全休天皇】

    授業が一コマも入っていない、「全休」の日を指す言葉だそうです。忙しい日々の中で全休は大変に尊ぶべき存在のため、このような言葉が生まれたのだとか。「今学期は全休天皇が二人も即位なさってるんだよね」、「潜りの授業入れたから全休天皇にはご退位頂くことにしたよ」と用例もかなりユニーク。初めてこの言葉に出会った時、その発想力のユニークさに腹を抱えて笑いました。確かに全休は尊い。全休のある学生を指すのではなくて、全休そのものを指しているのが、いかにそれを尊いと感じているかが伝わってきて良いですね。この言葉は研究班を担当してくださっている澤崎文先生の講義をとっていた学生さんがお寄せくださいました。 …こんなのが我々の元に山のように集まっているんです。まさに宝の山。これだからキャンパス言葉を追うのはやめられないのです。

     

    3 キャンパス言葉のジレンマ

     ここまでキャンパス言葉の面白さについて散々お話ししてきましたが、一方でキャンパス言葉というのは逃れられないジレンマの中にいる言葉でもあります。

     皆さんは「チベット」という言葉をご存知でしょうか。また、使ったことはありますか?私は使ったことがあります。よく使います。

     言うところによれば、早稲田キャンパスの中でも奥まった場所に位置する16号館のことを指す、というのが一般的ですが、15号館を指すという意見もあったり諸説のある言葉です。

    そこにもある種の面白みがあるわけですが、問題なのは「チベット」という表現。これは、使用用途によっては「差別語」とみなされる危険性を孕んでいる言葉でもあります。なぜなら、「チベット」が直接的に「遠い場所」を指す言葉ではないからです。

     しかし、「チベット」という言葉を、早大生が差別的な意図を持って使っていると私は微塵も思いません。そこに難しさがあるのです。

     辞書を編纂する上で、差別語と捉えられかねない言葉を載せることで差別を助長していると捉えられては堪りません。しかし、そういう側面があるからといって、辞書から除外するのも違う気がするのです。この辞書はキャンパス言葉の’’実態’’を明らかにすることを目的としているのですから。

     キャンパス言葉はフランクな間柄で用いられる言葉です。だからこそ、そういった問題も同時に出てきてしまう。それは仕方のないことだと思います。キャンパス言葉を使うのが悪いのではなくて、正しい向き合い方を理解すること、聞いた相手がどう思うかを考えて発することこそが重要なのだと私は考えています。これはキャンパス言葉に限った話ではありませんがね。

     なんだかお硬い話になってしまいました。ここまでダラダラと文字を打ち込んできましたが、要はこんなに色々な側面を持っている「キャンパス言葉」が大好きだということです。「私も大好き」と思った読者諸君は、是非とも我々研究班の門を叩いてほしいと思います。扉の中に広がるかなりアットホームな雰囲気に、きっと驚くことでしょう。 それでは、最後は大好きなキャンパス言葉で結びとさせていただきます。これを読んで、少しでもキャンパス言葉に親しみと関心を持っていただけたらしあワセダ。

    内山咲

  • 馬場歩きは愛と承認の言葉だ

    馬場歩きは愛と承認の言葉だ

    「馬場歩きしますか」

    「いくー」

     とある日の早稲田大学である。私は馬場歩き、ひいてはキャンパス言葉を調べている。馬場歩きとはなんであるか。マイルストーンに馬場歩きはこう書かれている。

    『早大生にとっては馴染みのある言葉。早稲田大学の本キャンや文キャンから高田場駅まで直接歩くこと。』

    確かにそうだ、しかしあの馬場歩きの豊かさを示せてはいない。馬場歩きについて考えてみよう。

     キャンパス言葉は、早稲田大学の中で特有の熱を持って話されている。私は言葉というのは寿命があって、人々が言葉を受け渡しするたびに、語の持つ輝きが失われていくものだと思う。だが大学という場では、人が入れ替わっていくので、話し手や受け取り手が常に言葉の輝きを感じることができる。キャンパス言葉はきっと、常に生まれたての言葉なのだ。

     馬場歩きは便利だ。馬場歩きは愛と承認の言葉だ。初対面で馬場まで歩くことはしない。馬場歩きをするためにはそれなりに仲が良くなければならないし、もっと一緒にいたいという気持ちがなくてはならない。こんなにもロマンテックな言葉であるのに、まるであたりまえの日常であるかのように振る舞っている。これは明らかにキャンパス言葉の利点だ。こんなにも奥深い言葉を簡単に使えるからだ。夏目漱石が早稲田生だったら、「月が綺麗ですね」ではなく「馬場歩き行かない?」というだろう。

     また、馬場歩きは自分が早稲田生である事を自覚させる。馬場歩きは伝統であり、顔の知らない先輩から後輩まで行うだろう。自身が早稲田から承認されている事を示し、愛を示す言葉でもあるのだ。

     こんなにも美しい言葉を、我々は日々何気なく使っている。背後と前方にある歴史を自覚しながら。 キャンパス言葉のあのワクワクした言葉の広がりはこうしたことに由来するのだろう。

    二階堂友大