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カテゴリー: 馬場歩き

  • 「馬場歩き」の歴史(馬場歩き⑤)

    「馬場歩き」の歴史(馬場歩き⑤)

    目次

    1 30年前の「馬場歩き」

    2 早稲田OB・OGへの調査

    3 「馬場歩き」はいつからあるの?

    4 「馬場歩き」の意味は変わった?

    5 「ありばば・あるばば」との関係は?

    6 まとめ

     

    1  30年前の「馬場歩き」

     「馬場歩き」という言葉は、いつごろから使われ始めたのだろうか?

     1997年刊の『早稲田大学キャンパス言葉辞典』にはすでに項目があるので、少なくとも97年には存在していた語である。第1回でも紹介したとおり、2025年4月の「早稲田ウィークリー」では「馬場歩き」の成立について言及されている。

    複数の知人に確認したのですが、現在50歳以上の卒業生は現役時代に「馬場歩き」という言葉を使っていなかったそうで、比較的新しいワードなのかもしれません。

     これによると、1975年生まれより上の人は「馬場歩き」を使っていないということになる。高校卒業後すぐ18歳で大学に進学すると仮定すると、1994年入学以降の学生から「馬場歩き」は生まれ、2025年現在まで約30年の歴史を持つ言葉だということになる。もしそうであれば、1997年の『早稲田大学キャンパス言葉辞典』は、かなり初期の「馬場歩き」をキャッチしたものだと言えそうだが、本当にそうなのだろうか?

     実は、この『早稲田大学キャンパス言葉辞典』の「馬場歩き」項全体は以下のようなものである。

    ばばあるき【馬場歩き】

     (文)★★☆☆☆,(本)★★★☆☆

     早稲田大学、または早稲田から高田馬場まで歩いていくこと。「どうやって帰る?」「ばばあるきで」[同:ありばば・あるばば]→ありばば、あるばば、ちゃりばば、らんばば

     辞書の項目なので、当然まず見出しとその通常の表記(漢字仮名交じり)が書かれるが、続いて示されているのはこの辞典ならではのもので、早稲田大学生による「なじみ度」の調査結果である。(文)は文キャン、(本)は本キャンの学生を示しており、黒星が多いほどなじみ度が高い。2025年現在の学生は、文キャン、本キャンとも調査対象者全員が「馬場歩き」を使用すると答えているので、なじみ度に置き換えれば星5つとなるであろうが、1997年時点では文キャンが星2つ、本キャンが星3つと、それほど学生へのなじみ度は高くないことが見て取れる。

     また、現在の学生の目には異様に映るであろう「ありばば」「あるばば」等の言葉が掲載されている。[同:ありばば・あるばば]という表示は、この項目、つまり「馬場歩き」の同義語として「ありばば」や「あるばば」が存在するという意味である。2025年現在、「馬場歩き」と同じ意味での「ありばば」「あるばば」を知る学生は皆無と言って良い。さらに、「→」の後に挙げられた語は、この辞書内の別の箇所にこれらの項目が存在するため参照せよとの表示である。「ありばば」「あるばば」の項目を見てみよう。

    ありばば

     (文)★★☆☆☆,(本)★★☆☆☆

     早稲田大学、または早稲田から高田馬場まで歩いていくこと。「アリババと12人〈引用者注:原文ママ〉の盗賊」にかけたしゃれ。「どうやって帰る?」「ありばば」[同:あるばば・ばばあるき]

    あるばば

     (文)★☆☆☆☆,(本)★★☆☆☆

     早稲田大学、または早稲田から高田馬場まで歩いていくこと。「どうやって帰る?」「あるばば」[同:ありばば・ばばあるき]

    なお、「ちゃりばば」は早稲田から高田馬場まで自転車でいくこと、「ランばば」は早稲田から高田馬場まで走って行くことだそうで、いずれも星1つとなり「ありばば」や「あるばば」よりもなじみ度が低いため、それらの派生と考えられる。しかし、「ありばば」のなじみ度は本キャンで少し劣るものの、「馬場歩き」とあまり変わらない星2つなのである!しかも、派生の語まで生産しているとなると、それなりに学生間に浸透していたものだと考えられる。ここで気になるのは、同じような意味を指す語として「馬場歩き」「ありばば・あるばば」があるということは、どちらが先に生まれたのか、いつ生まれたのか、「ありばば・あるばば」はいつ、どうして使われなくなったのかということである。

     このような、「馬場歩き」の成立時期と成立初期における意味、そして今はなき「ありばば・あるばば」との関係など、語の成り立ちや歴史を解明するのは日本語学の醍醐味である(と筆者は思っている)。そこで今回は、「馬場歩き」の歴史について調査してみた。

     

    2 早稲田OB・OGへの調査

     歴史を調べるには歴史資料を紐解くか、当時を知る人々に話を聞くかしかない。そして残念ながら、キャンパス言葉のような俗語は資料に残りにくいという弱点がある。しかし!早稲田大学には、いるではないか。OG・OBという貴重な早稲田言語話者が。今回は特に90年代に早稲田大学の学部生として過ごした方を中心に、1983年から2000年までの早稲田入学者にアンケートをとり、お話をうかがった。有効回答者数は計39名である。

     今回、不特定多数からの情報を集めるのではなく、主に早稲田大学の教職員や大学院生を対象とし、さらにそのご友人を紹介していただく形をとることで、データの信頼性を担保することにした。働き盛りの忙しい方々から貴重な情報をいただくことができたこと、この場を借りて感謝申し上げたい。 このような情報の集め方を採用したこともあり、入学年ごとの回答者数にかなり偏りが生じてしまった。また、調査対象者の教員の中には大学院を早稲田で過ごした方も多く、「大学院時代の記憶と混ざって分らなくなってしまった」という場合は、念のため個別のアンケート項目の有効回答から外している。さらに、「馬場歩き」の使用には所属キャンパスが大きく影響することが理工学部の調査(第4回参照)でわかったため、今回は本キャンと文キャンの出身者のみの結果を分析することにした。そんなわけで、集めたデータ数の少なさや偏りが課題となるが、ひとまず今あるデータを元に考察してみたい。アンケートのしかたも対面で説明しつつ質問する方法、アンケート用紙を配布する方法、Googleフォームで回答を収集する方法など、さまざまになってしまったが、基本的な質問項目は統一されている。

     

    3 「馬場歩き」はいつからあるの?

     まずは下記のような質問をした。

    「馬場歩き」という言葉を学部在学当時知っていましたか?
    「馬場歩き」という言葉を学部在学当時使っていましたか?

    この結果が下記のグラフ1およびグラフ2である。

     今回調査した中では1983年以降、「馬場歩き」の最初の認知者(知っていた人)が1987年入学、最初の使用者(使っていた人)が1990年入学であった。これにより、「馬場歩き」の成立は当初の想定よりさらに10年近く遡ることになり、40年弱の歴史を持つ語だと認定できそうである。もちろん、成立当初は認知者も少なく、使用者も限られていたことが想定できる。しかし1992年入学者では認知者が過半数を超え、1995年には使用者が過半数を超えている。つまり、「馬場歩き」は少なくとも1987年ごろには成立し、1990年代前半から認知度が高まって、1990年代後半には多くの使用者を獲得していった語であると言えよう。

     出身キャンパス別に認知度と使用度を見ると表1の通りである。

     文キャンよりも本キャンの方が認知度・使用度ともに高いことがわかる。これをふまえると、「馬場歩き」は本キャンの学生の間で発生し広まった言葉の可能性があるであろう。

     

    4 「馬場歩き」の意味は変わった?

     アンケートでは、次のような質問もした。

    「馬場歩き」とはどちらからどちらの方向へ歩いて移動することを言いましたか?

     「馬場歩き」を使っていたと答えた15名による、この質問への回答結果は表2の通りである。

     早稲田→馬場の方向のみを可とした回答者は5名のみであり、残る10名は早稲田↔馬場の双方向を可と回答した。馬場→早稲田の方向のみを可とする回答者はいなかった。さらに、双方向を可と回答した人のうち4名は早稲田→馬場が本来の意味であり、馬場→早稲田はその派生で可能になった意味であると答えた。これらのことをふまえると、「馬場歩き」はその成立当初は早稲田→馬場の方向の移動のみを意味していたが、そこから意味を広げて馬場↔早稲田の双方向の移動を指すことも可能となったことがわかる。このことは、現役大学生を対象にした調査と語構成から考察した第2回においても推測していたことだが、今回の卒業生を対象とした調査で「馬場歩き」の歴史を知ることによって裏付けられた。

     ただし、早稲田→馬場の一方向の意味から早稲田↔馬場の双方向の意味が派生するまでの時間は、思った以上に短いようである。今回のアンケート回答者のうち、「馬場歩き」を使っていたと回答した最も早い例が1990年入学者であり、意味は早稲田→馬場の一方向のみとのことだった。このことからも一方向のみが成立当初の意味だとうかがえるが、次に早い1992年入学の使用者はもうすでに5名中4名までが早稲田↔馬場の双方向の意味で使えると回答している。1987年ごろにこの語が成立したと考えると、成立からたった5年ほどですでに派生義が見られ、定着しているのである。

     

    5 「ありばば・あるばば」との関係は?

     「ありばば・あるばば」については、どのくらい認知度・使用度があるのだろうか。

    早稲田から高田馬場まで歩いて移動する意味で、「ありばば」「あるばば」という言葉は当時知っていましたか?使っていましたか?

     このような質問に対する回答は、グラフ3およびグラフ4のとおりである。

     「ありばば・あるばば」の最初の認知者と使用者はどちらも1991年入学である。これは「馬場歩き」よりも4年遅い。さらに、1996年入学者を最後に認知者も使用者もいなくなってしまう。1997年刊行の『早稲田大学キャンパス言葉辞典』に掲載されているので、1997年までは確実に存在した語ではあるが、「ありばば・あるばば」は1991年~1996年入学者を中心にたった5年ほどだけ使われて消えていったのかもしれない。回答者からも、「ありばば・あるばば」は「馬場歩き」よりも後にできた語であるという証言が複数得られた。

     さらに、ある回答者からは、1991年ごろに第一文学部の学生が大学から高田馬場駅に行くのを「ばばあるする?」と言っていたのを聞いたという貴重な情報が得られた。この回答者は「馬場歩き」という語があることはそれ以前に知っていたものの、「き」を落とした省略形はこのとき初めて聞いたため、奇妙な感じがしたと教えてくれた。

     ここから推測することを許されるのであれば、次のような経緯が考えられるのではないか。まず1987年頃から「馬場歩き」が先に成立し、おそらくこの語から「き」を落とした「ばばある」を経て、1991年頃に構成要素の前後を逆にし、かつ「アリババと40人の盗賊」を連想した「あるばば・ありばば」ができた。しかし「あるばば」はあまり定着せず、1990年代後半には廃れていき、元の「馬場歩き」のみが残った。「あるばば・ありばば」が定着しなかった理由は不明だが、そもそも同じ意味を持つ語が複数ある場合、どちらかが淘汰されることは自然である。「あるばば・ありばば」は後発であったこともあろうが、「アリババと40人の盗賊」にかけるなど、少しウィットに富んだひねりのある表現で、言葉遊び的な要素が多い分、聞いてすぐには意味がわからないという欠点もあったのではないか。よりわかりやすい語である「馬場歩き」が残り、その後高い認知度を獲得したことは納得できる結果であった。

     

    6 まとめ

     今回調査・考察してきた「馬場歩き」の歴史をまとめると以下の通りである。

    • 「馬場歩き」は少なくとも1987年ごろには成立し、1990年代前半から認知度が高まって、1990年代後半には多くの使用者を獲得していった。
    • 「馬場歩き」はその成立当初は早稲田→馬場の方向の移動のみを意味していたが、1992年頃にはそこから意味を広げて馬場↔早稲田の双方向の移動を指すことも可能となった。
    • 「ありばば・あるばば」は「馬場歩き」よりも遅く成立し、1991年~1996年入学者を中心にたった5年ほどだけ使われて消えていった可能性がある。

    「馬場歩き」の本格的な歴史を描くには、今回のデータ数は少なすぎるかもしれないが、いま得られているデータだけでもこれまで知られていなかった多くのことが見えてきたと感じている。今後さらに多くの情報が得られれば、「馬場歩き」成立の経緯がより明確になっていくであろう。何か貴重な情報をお持ちの早稲田OB・OGがおられたら、ぜひ日本語学(国語学)研究班まで情報を寄せていただきたい。

    澤崎文、石田佳弘、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗

  • 理工キャンの特徴(馬場歩き④)

    理工キャンの特徴(馬場歩き④)

    目次

    1 未知の世界「理工キャン」

    2 難航する調査

    3 理工キャンの特徴

    4 なぜ理工キャンでは「馬場歩き」が使われないのか?

    5 まとめ

     

    1 未知の世界「理工キャン」

     あなたは早稲田大学西早稲田キャンパス、通称「理工キャン」に行ったことがあるだろうか。

     早稲田大学の本キャンや文キャンから15分~20分程度歩くと、そびえ立つコンクリートの要塞が目に入ってくる。「工場」と名高い配管設備きわだつ建物の中には、基幹理工学部、創造理工学部、先進理工学部という3つの理工系の学部とその大学院が備わっており、そこでは自然科学知の申し子たちが日夜研究と教育に邁進しているのである!……というのが、われわれの勝手な理工キャンのイメージである。

     日本語学(国語学)研究班のメンバーは、いまのところ文キャンと本キャンの所属者しかおらず、理工キャンパスとそこにおけるキャンパスことばの実態は謎に包まれていた。この研究班の前身である「国語学研究班」が1997年に刊行した『早稲田大学キャンパス言葉辞典』も、使用度調査の対象を本キャンと文キャンの学生のみに絞っており、理工キャンの情報は皆無である。とはいえ、メンバーの所属する学内のサークルにも理工キャンの学生は存在するし、理工キャンは本キャンや文キャンから徒歩圏内で高田馬場駅にも近い。同じ早稲田大学なのだから早稲田文化を共有しているはずで、理工キャン特有のキャンパスことばはあるだろうが、本キャンや文キャンで多くの学生が使う言葉は理工キャンの学生にも当然使われているだろう。たとえば「馬場歩き」など――。と、思っていたのである。

      2025年6月12日――。あふれる好奇心を抑えきれず、ついにわれわれは理工キャンパスに乗り込み、調査を敢行した。

     

    2 難航する調査

     午後1時半すぎ、明治通り沿いの明治門から乗り込んだわれわれは、どこがキャンパスの入口かわからないことにビビりつつ(正門はもっと南側にあった)、思いのほかおしゃれな建物と素敵な中庭に圧倒されながらも、学生の影がほとんど見えないことに違和感を感じていた。学部・大学院合わせて1万名以上いる(早稲田大学HP「学生に関する情報」学生に関する情報 – 早稲田大学より)という学生はいったいどこへ隠れているのだろうか。

     ともかく、調査を開始しよう。今回は理工学部に全くつてがないため、完全に飛び込みでの街頭アンケート式である。班員5名が調査用紙を片手に、理工キャンパス内へ散らばってゆく。調査用紙はいつもの〈こちら〉

     まずは庭園のベンチに一人腰掛ける青年に声をかける。理工学部2年の学生さんだという。快くアンケートに回答していただき、貴重なデータを採集することに成功。調査の順調な滑り出しを感じ安堵する。よし、この調子でどんどんアンケートをとっていこう!……が、しかし。結論から言うと、筆者はこの最初に声をかけた1名からしか、「馬場歩き」に関するアンケート結果を回収できなかったのである。もちろん、その後理工キャンの学生に声をかけなかったわけではない。15名ほどに声をかけることができた。中には話をきいてもらえない場合もあったが、10名ほどは足を止めて耳を傾けてくださったように思う。しかし、調査用紙に回答を書いてもらうまでには至らなかったのである。

     理由はいくつかある。そもそも、この調査は学部2年生以上を対象とし、大学院生は対象外としている。声をかけた中には学部1年生や大学院生が多く、調査の対象外となってしまったのである。とはいえもちろん、学部2年生以上の方もちゃんと見つけることはできた。数にして5名ほどだろうか。しかし、彼らはみな「馬場歩き」を知らない、もしくは使わないという回答だったのである!こちらで用意したアンケートの内容は、「馬場歩き」という語の使用者の意識調査だったため、使わない方は対象外となってしまう。調査は難航を極めた。

     

    3 理工キャンの特徴

     強烈な理工キャンショックを受けつつ、調査は1時間で終了した。班員5人で集められた調査結果は11名分。おそらくこの10倍ほどの人には声をかけたはずである。

     調査の印象を話し合ったところ、やはり理工学部には「馬場歩き」を知らないもしくは使わないという人が、全体の6~7割はいそうだということに全員が同意した。また、サークルに所属していないという人もかなり多く、過半数はいそうだという感触であった。その中で、「馬場歩き」を使うと答えた11名のうち10名までがサークルに所属しているとの回答だったため、理工キャンの学生はサークルに所属しない限り、「馬場歩き」を知ったり使ったりする機会が発生しないのだと思われる。一方の本キャンや文キャンの学生はサークルに所属していようがいまいが、アンケートをとった全員が「馬場歩き」を使うという回答であった。

     ただし、「馬場歩き」を使うとした11名の回答からは、それぞれの項目において、本キャンや文キャンとさほど異なる傾向は見られなかった。しいて言えば、理工キャン→馬場を徒歩で移動することを「馬場歩き」と言えると回答した人が少し多く(第2回参照)、諏訪通りルートの許容度が少し高い(第3回参照)くらいだろうか。それでも、理工キャン→馬場の意味を可とする理工キャン学生は11名中4名で、36%にしかならない。やはり「馬場歩き」は早稲田↔馬場を歩き、そのルートのメインは早稲田通りであるという本キャンと文キャンの学生と同じ意識が、理工キャンの学生にも見られたのである。

     

    4 なぜ理工キャンでは「馬場歩き」が使われないのか?

     同じ早稲田大学の学生であり、本キャンや文キャンと高田馬場駅周辺という生活圏を共有しているにもかかわらず、なぜ理工キャンでは「馬場歩き」が使われないのだろうか。これについては先に触れた庭園の青年が、示唆に富む情報を提供してくれた。その方によると、理工キャンから高田馬場駅まで歩くことはよくあるのだそうである。徒歩以外の手段として、理工キャン↔高田馬場駅間を運行する路線バスがあるにはあるが、そもそも馬場までさしたる距離でもなくてわざわざバスを使うほどでもないので、むしろ徒歩が理工キャン↔馬場間の移動手段の基本だとのことであった。Googleマップで確認したところ、理工キャン↔馬場間は路線バスを利用すると10分、徒歩だと13分で移動できるようである。これではほとんど時間も変わらず、バスを使わないのも納得である。

     「馬場歩き」の意味を思い出してほしい。早稲田大学HPには次のように紹介されていた。

    高田馬場駅と早稲田キャンパス間を通学するには、「地下鉄東西線に乗る」「バスに乗る」「徒歩」の3通りがあります。その中で、高田馬場~早稲田キャンパスを歩くことを学生たちは「馬場歩き」と呼んでいます。(早稲田大学「馬場歩き」

     本キャン(早稲田キャンパス)から高田馬場駅まで、地下鉄東西線を使うと約8分、徒歩だと20分ほどかかる。文キャンも同様である。時間と労力のことだけを考えれば、東西線を使うのが理にかなっている。現に早稲田-高田馬場間の電車の通学定期を所有している学生も多い。つまり、早稲田↔馬場間は東西線での移動が基本である中、わざわざ徒歩で移動することがあるためその行為を「馬場歩き」と命名しているのである。

     これは言語学の有標/無標という考え方で、この場合東西線での移動が無標(Unmarked)、徒歩での移動が有標(Marked)であると言い換えることができる。無標の事象は当然のことであるため特別な名称がなく、「馬場電」や「馬場鉄」などとは言わない。しかし有標の事象は特筆すべきことであるため、それを指す特別な語「馬場歩き」が必要となるのである。このような有標・無標が語彙に表現されるのはよくあることで、たとえば男性の医者のことは「男医」とは言わないのに女性の医者のことは「女医」と言い、男性の王のことは「男王」とは言わないのに女性の王のことは「女王」と言うのが典型的である。この場合、医者や王が男性であることは当然で無標であり、それらが女性であることは特筆すべきで有標であるという考えが(その適否はどうあれ)社会に存在するため、それが語彙のあり方に反映されているのである。

     「馬場歩き」の話に戻ると、理工キャンの学生にとっては理工キャン↔馬場間を徒歩で移動するのが基本、つまり無標なので、それに対して特別な言葉で表現する必要がない。その行為をわざわざ「馬場歩き」と呼ぶ必要がないのである。彼らにとって馬場は当然、歩いて行く場所なのだから。

     

    5 まとめ

     今回は、理工キャンでの調査の様子とその結果・考察を記述した。まとめると以下の通りである。

    • 理工キャンの学生は大部分が「馬場歩き」を使わない。
    • 「馬場歩き」を使う理工キャンの学生は多くがサークルに所属している。
    • 理工キャンの学生が「馬場歩き」を使う場合、本キャンや文キャンの学生とその使用意識は大きく変わらない。
    • 理工キャンの学生が理工キャン↔馬場間を徒歩で移動することを「馬場歩き」と呼ばないのは、徒歩での移動が基本だから。

     理工キャンでの調査でなにより驚いたのは、同じ早稲田大学の学生であり、キャンパスも徒歩圏内という近さでありながら、理工キャンパスでは本キャンや文キャンで誰もが使っているキャンパスことばを共有していないということである。まさに「キャンパスことば」は「大学ことば」などではなく、キャンパスという場所に依存することばなのだということを強く感じることができた。裏を返せば、理工キャンでは本キャンや文キャンにはない独自のキャンパスことばが発展している可能性があるだろう。『早稲田大学 理工キャンパス言葉辞典』を作ることができるのではないかと思える体験であった。

    澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗

  • どの道を通るのか(馬場歩き③)

    どの道を通るのか(馬場歩き③)

    目次

    1 早稲田通りだけが「馬場歩き」ですか?

    2 「馬場歩き」と呼べるルート、教えてください!

    3 目的地が高田馬場駅や早稲田じゃなくてもいいの?

    4 「馬場」ってどこよ?

    5 まとめ

     

    1 早稲田通りだけが「馬場歩き」ですか?

     第3回は「馬場歩き」と呼ばれうるルートについて検証したい。

     前回第2回では、「馬場歩き」とはどこからどこへ徒歩で移動することを言うのか、現役学生にアンケート調査をおこなったところ、早稲田キャンパスもしくは戸山キャンパスから高田馬場駅までの移動を基本とし、その逆方向を許容する回答も半数ほど見られるという結果になった。つまり、徒歩での移動の起点と終点は早稲田キャンパスもしくは戸山キャンパスと高田馬場駅だということがわかったわけだが、早稲田と馬場をつなぐ道は無限にある。早稲田を出発して北回りに日本一周してから高田馬場駅へたどり着くことだってできるのである。しかしそれは「馬場歩き」ではないだろう。

     では、途中のルートはどこを通れば「馬場歩き」だと認定されるのだろうか。

    図1:早稲田大学の早稲田キャンパス、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスと高田馬場駅の位置関係を示す地図(Google Maps©)。早稲田キャンパスや戸山キャンパスから高田馬場駅へ向かうルートは、早稲田通りのほか、南側の諏訪通り、北側の新目白通りなどが考えられる。

     図1で示したとおり、早稲田キャンパスもしくは戸山キャンパス(以降、まとめて「早稲田」と呼ぶ)と、高田馬場駅を結ぶ道は、「早稲田通り」が最もわかりやすい。早稲田通りの地下には地下鉄東西線が走っており、早稲田駅と高田馬場駅を結んでいる。この通りを徒歩で移動することは、まさに東西線での移動の代わりとなる。

     とはいえ、早稲田と馬場を結ぶルートは他にも考えられる。たとえば、早稲田通りと平行に南側を走る「諏訪通り」や、北側を走る「新目白通り」である。諏訪通り沿いに存在する早稲田大学の学生会館(サークルの部室や練習場などがある)から高田馬場駅へ向かう際、また新目白通りにごく近い位置にある15号館(教育学部の建物)や中央図書館から高田馬場駅へ向かう際など、これらのルートを使用しても不思議はないが、それらは「馬場歩き」と認定することができるのだろうか。早速われわれの調査結果をお示ししたい。

     

    2 「馬場歩き」と呼べるルート、教えてください!

     〈第2回で示した調査〉において、図1を示しつつ、次のような質問をした。

     「馬場歩き」と呼べるルートを、下記の地図上ですべてなぞってください。

    これに対するキャンパスごとの回答を集計すると表1の通りである。本キャン=早稲田キャンパス、文キャン=戸山キャンパス、理工キャン=西早稲田キャンパスとする。

     「全て早稲田通り」とは、早稲田↔馬場間を全て早稲田通りのみ通るルートである。「諏訪通り」「新目白通り」の内訳にある「全て諏訪」「全て新目白」も、同様に全て諏訪通りを通る、もしくはすべて新目白通りを通るルートであるが、諏訪通りや新目白通りは高田馬場駅とは直接につながっていないので、駅周辺は南北に走る道を通って高田馬場駅とつなぐことになる。言い換えればそれらは早稲田通りを通らないルートということである。「諏訪通り」で「明治通り経由」としたものは、早稲田から途中まで諏訪通りを通って、南北に走る明治通りを経由して早稲田通りに接続し、以降早稲田通りを歩いて馬場へ行くルート、「新目白通り」の「明治通り経由」も同様に明治通りを経由するルートである。

     さて、表1を見ると、やはり「全て早稲田通り」は回答者全員が「馬場歩き」だと認めている、不動のルートであることがわかる。これは想定内であった。問題はそれ以外のルートがどれほど認められているかであろう。

     何らかの形で諏訪通りを通るルートも、各キャンパス半数以上は「馬場歩き」と呼べると回答している。特に理工キャンの学生は諏訪通りルートの回答率が高く、早稲田通りよりも諏訪通りに近い理工キャンの立地が影響していると考えられる。

     諏訪通りは文キャンの正門が直結する通りであり、本キャンより文キャンの方が距離的に近いにもかかわらず、諏訪通りルートは本キャンと文キャンで回答率にほとんど差がなかった。ただし、両キャンパス所属学生のサークルへの所属の有無と諏訪通りルートの回答率の関係を見ると、表2のとおり明らかな違いがあった。

     まず、文キャンの学生はサークルへの所属の有無にかかわらず約半数が諏訪通りルートを可と回答している。しかし本キャンの学生は、サークルへ所属している回答者の諏訪通りルートへの許容率が60%である一方で、サークルへ所属していない回答者の許容率は0%であった。

     この結果にはおそらく、サークル活動と諏訪通りルートへのなじみ度が関係しているであろう。文キャンの正門から少し西の諏訪通り沿いにある学生会館は、多くの早稲田大学のサークル活動の拠点となっている。サークルに所属する本キャン学生は学生会館を出発点として諏訪通りルートを使用するが、所属しない学生は本キャンから遠いため諏訪通りルートになじみがない可能性が高い。文キャン学生はキャンパスの立地からサークルの所属に関係なく諏訪通りルートを使用する可能性があるのである。文キャンでは、全て諏訪通りを通るルートも「馬場歩き」と認める学生が全体の1/3程度と多く見られた。

     また、新目白通りルートを「馬場歩き」と考える学生はごく少数いるが、このルートはほとんど認められていないことも明らかになった。

     

    3 目的地が高田馬場駅や早稲田じゃなくてもいいの?

     また、次のような質問もしてみた。

    駅やキャンパスにたどり着く道中の店が目的地であっても、「馬場歩き」と言えますか?

     この質問の趣旨としては、道中の店に寄った後、歩かずにバスやタクシーで移動してしまっても、店までは徒歩で行っていれば「馬場歩き」と言えるかという意味である。このことは口頭で説明した上で回答してもらった。キャンパスごとの回答をまとめると表3の通りである。

     この結果を見ると、過半数の学生が道中の店が目的地であっても「馬場歩き」と言えると考えていることがわかる。これは一見、第2回のどこからどこまで行くことを馬場歩きと呼べるか、という質問への回答と矛盾しているように感じられる。早稲田↔馬場を歩くのが馬場歩きじゃなかったのか。

     

    4 「馬場」ってどこよ?

     このことについては、回答者が「馬場」とはどこだと考えているかが関係している可能性がある。調査では図1について次のような質問もおこなった。

    「馬場で○○さんに会った。」「昨日馬場に行った。」などと言うときの地名である「馬場」が指せる範囲を下記の地図上に丸で囲んでください。

     この結果、最も多かった回答は「明治通り以西高田馬場駅周辺」(図2)で23名おり、次に多かった回答は「明治通りより少し西から高田馬場駅周辺」(図3)で13名であった。

    図2:黄色の丸が「明治通り以西高田馬場駅周辺」の回答例(Google Maps©)

     

    図3:青の丸が「明治通りより少し西から高田馬場駅周辺」の回答例(Google Maps©)

     図2および図3を見るとわかるように、ほとんどの回答者が「馬場」を高田馬場駅だけでなくかなり広い範囲で捉えている。特に明治通り以西から高田馬場駅周辺にかけては、多くの飲食店が集まり、そこを目的地として「馬場歩き」するというシチュエーションも生じやすい場所である。

     調査では、「途中の店」がどこにあるかを指定しなかったが、図2や図3の丸の範囲内にある場合は、そこも十分に「馬場」であると言えるのであり、店を出てからバスやタクシーに乗ったとしても、「馬場歩き」と考えて矛盾はないということになる。なお、「馬場」の範囲を聞く質問で、1名のみ、「馬場」とは高田馬場駅そのもので周辺の地域や店は含めないとした回答者がいたが、「駅やキャンパスにたどり着く道中の店が目的地であっても、「馬場歩き」と言えますか?」という質問には「言えない」と回答していたことも付け加えておく。

     ただし、表3では「言えない」や「その店を出た後に駅やキャンパスまで歩いて行くなら言える」と答えた回答者も一定数いるところから、あくまでも出発点と終着点が早稲田大学と高田馬場駅でなければならないとする認識も根強くあるようである。

     

    5 まとめ

     結論をまとめると以下の通りになる。

    • 「馬場歩き」と呼べるルートは早稲田通りが中心である。
    • 諏訪通りを通るルートも、過半数の学生が「馬場歩き」だと認識している。
    • 新目白通りを通るルートは「馬場歩き」だとはほぼ認識されていない。
    • 早稲田大学↔高田馬場駅間の途中までしか歩かなくても過半数の学生が「馬場歩き」だと感じているが、やはり終着点まで歩かなければならないと考える学生も半数弱存在する。
    • 「馬場」と呼べる範囲は「高田馬場駅」よりかなり広く、明治通り以西と考える学生が半数以上いる。

     ところで、新宿区の町名としての「高田馬場」は一丁目から四丁目まであり、図2や図3の丸よりはるかに広い。ただし、その東端は明治通りであることから、早稲田大学生の「馬場」意識へ何らかに影響を与えている可能性はある。

     澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗

  • どこからどこへ移動するのか(馬場歩き②)

    どこからどこへ移動するのか(馬場歩き②)

     

    目次

    1 「馬場歩き」ってどこからどこへ行くの?

    2 いよいよ調査!

    3 歩く方向のスタンダードは

    4 「馬場歩き」の特殊性

    5 まとめ

     

    1 「馬場歩き」ってどこからどこへ行くの?

     いったい「馬場歩き」とはどこからどこへ行くことを意味して使われているのだろうか。

     第1回では、馬場歩きについて、巷では「高田馬場駅から早稲田大学まで歩くこと」と、「早稲田大学から高田馬場駅まで歩くこと」またはその両方という異なる言説がささやかれている様子を確認した。これでは「あした馬場歩きしよう。」と話した2人が、高田馬場駅と早稲田大学にそれぞれ集合して永遠に会えない事態が生じてしまうかもしれない。今こそわれわれ日本語学(国語学)研究班が、早大生の「馬場歩き」に関する言語意識を解明しようではないか。でも、そもそも、行く方向の認識が人によって違うなどということが本当におきているのだろうか。

    図1:早稲田大学の早稲田キャンパス、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスと高田馬場駅の位置関係を示す地図(Google Maps©)。黄色の線で示した道が「早稲田通り」であり、その地下を地下鉄東西線が走っている。ここを徒歩で歩くのが「馬場歩き」の基本的意味とされる。

     実は、「日本語学(国語学)研究班」の前身である「国語学研究班」が1997年に刊行した『早稲田大学キャンパス言葉辞典』には、このように書かれている。

    ばばあるき【馬場歩き】

     早稲田大学、または早稲田から高田馬場まで歩いて行くこと。「どうやって帰る?」「ばばあるきで」

     少なくとも1997年時点では、早稲田大学→高田馬場駅の方向だと認識されていたようである。

     また、早稲田大学のサークルである早稲田大学辞書研究会が2015年に刊行した『早稲田大辞書 2015』にはこのようにある。

    ばばあるき【馬場歩き】

     早稲田キャンパス・戸山キャンパス近辺または西早稲田キャンパス近辺と、高田馬場駅の間を歩くこと。(用例)「馬場歩き途中にある店」

     方向には言及がなく、キャンパスと高田馬場駅の間を移動することを方向を問わず言うように見える。また道の一端は高田馬場駅だが、もう一端には早稲田キャンパス・戸山キャンパスとともに西早稲田キャンパスも挙げられている。

     さらに、早稲田大学のサークルである早稲田大学マイルストーン編集会が毎年作成している、早稲田大学の情報雑誌『Milestone Express』には、「全訳早和辞典」として早稲田用語辞典が特集されており、現時点での最新刊である2025年発行の第19版には、このように書かれている。

    ばば-あるき【馬場歩き】

     早稲田大学の本キャンや文キャンから高田馬場駅まで直接歩くこと。

     なんと、年代にかかわらずやはり早稲田大学→高田馬場駅の方向だという認識が存在することがわかる。また、道の一端である早稲田大学側は本キャンと文キャン(後述)のみであり、いわゆる理工キャンである西早稲田キャンパスは挙げられていない。

     つまり、ネット言説のみならず、早稲田大学に関係する各辞書においても、語釈がゆれているのである。

     

    2 いよいよ調査!

     われわれは、「馬場歩き」について解明すべく、まず2025年5月~6月に本キャン、文キャン、理工(りこ)キャンの学生の意識調査を行った。本キャン、文キャン、理工キャンとは、早稲田大学のキャンパスことばで、下記のキャンパスを指す。位置関係は図1の地図を見られたい。

    • 本キャン:早稲田キャンパス=政経、商、法、教育、社会科学、国際教養学部のキャンパス
    • 文キャン:戸山キャンパス=文、文化構想学部のキャンパス
    • 理工(りこ)キャン:西早稲田キャンパス=理工学部のキャンパス

     調査は対面で質問項目を説明しつつ、調査用紙に書き込んでもらう形でおこなった。また、調査対象者は早稲田大学の学部2年生以上で、「馬場歩き」という言葉を使う学生である。1年生を対象にしなかったのは、調査時期が5月~6月であり、まだ1年生は入学して2ヶ月ほどで「馬場歩き」という言葉になじみがない可能性があるためである。また、大学院生は大学院内での独自の言語生活や言語実態があることが考えられ、それが学部生とは何らかに異なるものである可能性があるため、対象から外した。有効回答者数は文キャン21名、本キャン12名、理工キャン11名の計44名である。調査用紙は〈こちら〉。 なお、以降は「高田馬場駅」のことを単に「馬場」と略称する。また、本キャンと文キャンは近い位置にあるためまとめて「早稲田」と呼んで理工キャンの「西早稲田」と区別することがある。

     

    3 歩く方向のスタンダードは

     アンケート調査にて、このような質問をした。

    「馬場歩き」という言葉は、どこからどこまでを徒歩で移動するという意味で使いますか?

     これに対するキャンパスごとの回答をまとめると下記の通りである。

     表1は回答者の数、グラフ1は母数に対する回答率を示している。これらからわかるように、本キャン(もしくは文キャン)つまり早稲田→馬場の方向はほとんどの回答者が「馬場歩き」と呼べると回答している。一方で、逆の馬場→早稲田という方向を回答したのは約半数であった。実は早稲田→馬場の方向のみを可とした回答者は20名、早稲田↔馬場の双方向を可とした回答者は19名おり、馬場→早稲田を可としている人はほぼ全員が早稲田→馬場も可としているため、実際は全体(44名)の約半数が早稲田→馬場の一方向のみ可、約半数が双方向可という結果である。馬場→早稲田が可で早稲田→馬場は不可という回答者は2名のみであった。これをまとめると、「馬場歩き」は早稲田大学の本キャン・文キャンから高田馬場駅方面へ歩くのがメインだが、逆も半数の学生には使用されているということになる。

     また、馬場歩きに対する意識はキャンパスごとにあまり差がないことも見て取れる。早稲田→馬場を可とする学生はどのキャンパスも多く、理工キャンでちょっと少ないものの、7~9割の水準を保っている。馬場→早稲田を許容する学生の割合は各キャンパスで違いがなく、文キャンが少し少ない程度で、どのキャンパスの学生も5割前後である。

     さらに、本キャンの学生も文キャンの学生も、本キャン→馬場を可としている回答者はすべて文キャン→馬場を可と回答していた。逆もしかりである。どうやら馬場歩き仲間として、両キャンパスの学生はお互いのキャンパスを認め合っているようだ。なお、理工キャンの学生2名のみが本キャン→馬場を可としつつ、文キャン→馬場を不可と回答していた。理工キャンの学生からはわずかではあるが、「馬場歩き」を本キャンの特権とする意識が垣間見える。

      理工キャン→馬場は11名と全体の4人に1人で許容度は高くない。理工キャンの学生でも11名中4名と許容する人は半数に満たなかった。理工キャン特有の言語意識については、第4回でまた詳しく述べたい。

     

    4 「馬場歩き」の特殊性

     「馬場歩き」が早稲田→馬場をスタンダードとする一方で、半数は早稲田↔馬場という双方向の移動が可能と考えていることがわかったが、ここで「馬場歩き」という語が日本語全般の中で特殊であることを主張したい。

     日本語には、「○○歩き」という語構成を持つ語が多く存在する。『日本国語大辞典』第二版(小学館)で調べたところ、「○○歩き」は78項目が立項されていた。「あるき」の異語形と考えられる「ありき」の形も含め、これらを語構成ごとに分類すると表2の通りである。

     「馬場歩き」は当然ながら一般の辞書には載っていないが、ここに分類するとしたら「場所+歩き」であろう。辞書の「場所+歩き」23語をさらに意味別に分類すると表3の通りになる。

     表3をみると、「場所+を+歩く」と「場所+へ+歩く」の語がほとんどを占めている。「馬場歩き」は、「馬場を歩く」ことを意味するわけではない。また、「馬場へ歩く」ことを意味する場合もあるが、「馬場から歩く」も使用者の約半数が許容しており、その場合「馬場へ、または馬場から歩く」の意味を持っている。しかし、日本語における他の「○○歩き」には、「場所へ、または場所から歩く」の意味を持つ語は存在しないのである。

     表3の「場所+から+場所+へ+歩く」がそれにあたると思われるかもしれないが、そうではない。例えば「県歩き」の語釈に「主に平安時代、地方官が、任国から任国へと地方を転々と勤務して回ること。」とあるように、「場所+から+場所+へ+歩く」は「場所から場所へ転々として回る」ことを意味する。「馬場歩き」は「馬場から馬場へ転々として回る」ことでは断じてない。つまり、「馬場歩き」は同じ語構成をもつ語の中で、極めて特殊な意味を持つのである。

     さらに言うと、「馬場歩き」が「場所へ、または場所から歩く」意味だと説明したが、厳密には「特定の場所X(早稲田大学)から特定の場所Y(高田馬場駅)へ、または特定の場所Yから特定の場所Xへ歩く」ということになる。この場合、「馬場歩き」という語形に明示されているのは場所Y=高田馬場駅だけであり、場所Xにあたる早稲田大学は「馬場歩き」という語形の上には明示されていない。このことは、ほかの全ての「場所+へ+歩く」の意味を持つ「○○歩き」には見られない特徴である。他の「○○歩き」は行き先の場所は特定しても、出発点はどこからでもかまわない。

     しいていえば、「(ほか)歩き」(家を出て他の家を訪ねあるくこと。)や「江戸歩き」(江戸府外とされた遊里吉原に住む者が、郭外の町へ出歩くこと。深川などの岡場所でもいった。)のような語は、特定の地名ではなくその人の「家」や「住みか」を出発点とすることが前提とされている。このことから考えると、「馬場歩き」においては、特定の場所でありながらもはや「早稲田大学」がその語の使用者の「家」として前提されていることになる。ここには早稲田大学に身を置く早大生の立場や視点が無意識に言葉へ反映されているのであろう。「馬場歩き」は自らのhomeを早稲田大学であると自認する態度から生まれたのである。また、その「早稲田大学」は厳密には本キャンか文キャンということになるため、「馬場歩き」は両キャンパスの学生の視点が内面化された語だと言える。おそらくこの語を作り出した層も、本キャンか文キャンの学生である可能性が高いだろう。

     

    5 まとめ

     結論をまとめると以下の通りになる。

    • 「馬場歩き」は約半数が早稲田大学↔高田馬場駅の双方向の移動、約半数が早稲田大学→高田馬場駅の一方向のみの移動を指すと認識している。
    • 所属するキャンパスによってこの認識にほとんど差はない。
    • 同じ早稲田大学ではあるが、理工キャン↔高田馬場駅の移動を指す使い方はあまり許容されない。
    • 「馬場歩き」がもつ「特定の場所X(早稲田大学)から特定の場所Y(高田馬場駅)へ、または特定の場所Yから特定の場所Xへ歩く」の意味は、日本語における「○○歩き」の中で極めて特殊。
    • 「馬場歩き」には、早稲田大学をhomeと考える早大生の心性が反映されている。

     おそらく、「馬場歩き」は元々、早稲田大学→高田馬場駅という方向で歩くことを指して生まれ、「場所+へ+歩く」という特に珍しくはない意味の語だったのではないか。アンケートで早稲田→馬場を可とする回答者がほとんどを占め、逆の馬場→早稲田は半数に留まったことからも、早稲田→馬場の方向が本義(本来の意味)であると解釈できる。そのうち、使用者によって馬場→早稲田の方向を歩くという派生義(本義から派生してできた意味)が生み出され、早稲田↔馬場という双方向の移動を可能にしたのではないか。

     なお、今回のアンケートは調査数があまり多くないため、正確を期すにはより多人数を対象にした調査が必要となるが、本キャンと文キャンの学生だけをみると、早稲田↔馬場の双方向を可とする回答者が、2年生は37%、3年生は42%、4年生以上は54%という結果になっており、学年が上がるほど双方向の意味を認識する率が上がっていった(グラフ2)。

     早稲田大学になじむほど早稲田↔馬場双方向の意味を獲得していくのであり、この意味は派生義ながら早稲田大学ヘビーユーザーにとっての「馬場歩き」の真義となっているのかもしれない。これを利用すれば、早稲田↔馬場の双方向の意味で「馬場歩き」を使っているかどうかが、早稲田にどっぷり浸かっているかどうかの指標になることも考えられる。さて、あなたはどの意味で「馬場歩き」を使っていただろうか。

     そして辞書に載らない「○○歩き」は全国にあると思われるが、「馬場歩き」と似た意味の「○○歩き」をご存知の方は、ぜひ日本語学(国語学)研究班までお知らせいただきたい。

    澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗

  • 馬場歩きに関する言説(馬場歩き①)

    馬場歩きに関する言説(馬場歩き①)

    1 われわれはまだ「馬場歩き」を知らない

     「馬場歩き」という言葉を知っているだろうか。早稲田大学の学生であれば、かなりの割合の人が認知しているこの言葉について、実は私たちはまだ何もわかっていない。というのも、この言葉はいわゆる「早稲田大学キャンパスことば」と呼ばれる、早大生に特有の言葉であって、早稲田大学の学生や卒業生などにしか認識されておらず、一般の辞書には掲載されずにほとんど口伝えで継承されているため、明確な定義や語釈が不明なのである。

     とはいえ、多くの早稲田大学の学生に「馬場歩き」は「早稲田大学早稲田キャンパスや戸山キャンパスから高田馬場駅まで徒歩で移動すること。」だと理解されていることが多い。しかしながら、ネット上には、馬場歩きについてさまざまな言説が飛び交っている。ここにその一部を紹介してみよう。以下、引用するインターネットサイトの最終閲覧日は全て2025年7月11日である。

    2 「馬場歩き」に関する巷の言説

    2-1 「馬場歩き」の方向はどっち?

     早稲田大学の広報Webマガジンである「早稲田ウィークリー」が、2025年4月に「馬場歩き発掘マップ」という特集を公開した。そこにはこのように書かれている。

    JR山手線・西武新宿線・東京メトロ東西線の高田馬場駅~早稲田キャンパス間を歩くことを指す、早大生用語の一つ、“馬場歩き”。(早稲田ウィークリー「馬場歩き発掘マップ」

    また、早稲田大学の公式HPには、2015年に公開された「馬場歩き」という記事が掲載されている。そこには次のような説明がある。

    高田馬場駅と早稲田キャンパス間を通学するには、「地下鉄東西線に乗る」「バスに乗る」「徒歩」の3通りがあります。その中で、高田馬場~早稲田キャンパスを歩くことを学生たちは「馬場歩き」と呼んでいます。留学生のみなさんは、「Baba Walk」とも言うようですね。(早稲田大学「馬場歩き」

    この2つの記事を見ると、高田馬場駅から早稲田キャンパスの間を歩くことが方向を問わず「馬場歩き」と呼ばれているように解釈することもできるが、読みようによっては高田馬場駅→早稲田キャンパスの一方向のみを表すようにも感じられ、少し確証が持てない。そして、早稲田大学の公式広報誌やHPがこのようにいうのだから、「馬場歩き」の定義はこれでいいかというと、そうではない。キャンパスことばは大学生のものであって決して大学のものではない。

     他の言説も見てみよう。早稲田大学の卒業生であるタレントのアンゴラ村長氏は、次のように述べている。

    馬場歩きとは、高田馬場駅から早稲田大学までの25分くらいの道を歩くことです。〈中略〉もちろん地下鉄に乗れば、高田馬場駅から大学最寄りの早稲田駅までビュンッと行くことができます。それに乗るのも良いですし、でも友達とダラダラおしゃべりしながら歩くのもとても乙なのです。それも含めて大学生活なのです。(さんたつ「アンゴラ東京めぐり」

    やはり、高田馬場駅→早稲田大学の一方向のみを表す言葉として認識されている。なお、同記事によるとアンゴラ村長氏は「2017年頃まで、早稲田大学に通ってい」たそうである。
     ほかにも、高田馬場駅→早稲田大学の方向を歩くことを指して「馬場歩き」と呼ぶ例は、ネット上に多く見受けられる。

    高田馬場から早稲田キャンパスまで歩くことを指す。(現役早大生が伝える!早大生活ナビ

    高田馬場駅から早稲田大学までのおよそ20分の距離を歩く事を馬場歩きと言います。(早稲田大学生名物、馬場歩きといふもの

    しかし一方で、その逆の早稲田大学→高田馬場駅の方向しか「馬場歩き」と認めない言説も見られるのである!

    馬場歩きとは、早稲田から高田馬場まで歩く事を言う。〈中略)因みに、高田馬場から早稲田に向かうのには特に名称が無く、もっぱら早稲田から高田馬場に向かって歩く場合のみが言われる。(ニコニコ大百科「馬場歩き」

    なお、次のようなものも早稲田大学→高田馬場駅の方向で捉えていることが確認できる。

    学生時代には早大から高田馬場までの通りを歩いて帰ることがよくありました。いわゆる「馬場歩き」と呼ばれる行動で…(デヤブロウ「【銭湯巡り】新宿区・世界湯/馬場歩きの後で行ける早大生へオススメ銭湯」

    「早稲田大学の同級生として出会った2人。早稲田キャンパスから高田馬場駅まで歩きながら話していた学生の頃のように、仲の良い友人として何気ないトークを繰り広げる番組」・・・という意味でタイトルをつけましたが…(TBSラジオ「サスペンダーズの馬場歩き」

    このように、「馬場歩き」とは、高田馬場駅と早稲田大学の間をどの方向で歩くことを意味するか、そんな基本的なことすら明らかになってはいないのである。

    2-2 「馬場歩き」の道はどれ?

     実は「馬場歩き」と呼べるルートも少し曖昧である。方向はともあれ、高田馬場駅と早稲田大学の間を歩くことを意味するとなると、その出発点と終着点は決められていることになるが、途中の道はどこを通れば「馬場歩き」と言えるのだろうか。
     もちろん、最も基本的なルートは早稲田通りを通る道だと考えることができる。早稲田キャンパスや戸山キャンパスと高田馬場駅をつなぐ早稲田通りは、その地下に地下鉄東西線が走っており、この道を通る「馬場歩き」はまさに地下鉄での移動の代わりになる。

    図1 早稲田大学~高田馬場駅間の地図(Google Maps©)
    各キャンパスと高田馬場駅を結ぶ道は早稲田通りが有名だが、他にもルートがあり得る。

     先述の「早稲田ウィークリー」による馬場歩き特集では、馬場歩きをするにあたって通ることのできるスポットが多く紹介されている。そこに挙げられているものを見ると、多くが早稲田通り沿いの店だが、中には「サイゼリヤ 西早稲田店」や「Le Cafe RETRO(閉店)」「戸山公園」など、早稲田通りと平行に走る諏訪通り沿いのスポットもある。また、掲載されている「馬場歩きイラストマップ」には、早稲田通りのみならず諏訪通りや新目白通り、明治通りが描かれている。

     また、先述の「ニコニコ大百科」では、「最近、大学側の対応で、学生会館からの馬場歩き経路が捻じ曲げられた。学生には、なるべく大通りを通るよう、注意を促している。」とあるように、早稲田大学学生会館を起点とした経路に言及がある。学生会館は諏訪通り沿いにあることから、「学生会館からの馬場歩き経路」とは諏訪通りを通る経路であると考えられる。これをも「馬場歩き」の一経路と考えているということになる。「馬場歩き」と言えるルートは早稲田通り以外にも可能なのかどうか、検証が必要であろう。

     さらには、高田馬場駅と早稲田大学をつなぐ「馬場歩き」の起点と終点についても、早稲田大学とは、早稲田キャンパス、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスのうちいずれを指すのか、定かではない。早稲田大学の本部がある早稲田キャンパスは入りそうであるが、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスは「馬場歩き」の始まりや終わりの地点と考えて良いのだろうか。こちらも検証が必要である。

    2-3 「馬場歩き」はいつからあるの?

     「早稲田ウィークリー」には、高田馬場経済新聞の記者・田中健一朗氏が寄稿しており、そこに「馬場歩き」の成立に関する興味深い発言がある。

    「馬場歩き」という言葉は、どこから生まれたのでしょうか?
    複数の知人に確認したのですが、現在50歳以上の卒業生は現役時代に「馬場歩き」という言葉を使っていなかったそうで、比較的新しいワードなのかもしれません。

    ここでの「現在」とは、2025年4月時点であろうから、1975年生まれより上の人は「馬場歩き」を使っていないということになる。高校卒業後すぐ18歳で大学に進学すると仮定すると、1994年入学以降の学生から「馬場歩き」は生まれ、2025年現在まで約30年の歴史を持つ言葉だということになる。これが本当に正しいのか、またこの言葉の成立当初はどのような意味で使われていたのか、「馬場歩き」の歴史についてはなお調査が必要である。

    3 まとめ

     以上のとおり、巷間でささやかれている「馬場歩き」についての言説を概観しつつ、「馬場歩き」について未解明の点が豊富にあることを確認してきた。こういった言説のうち、いったいどれが真実なのだろうか。確かめてみるしかない。

     私たち「日本語学(国語学)研究班」の目的は『早稲田大学キャンパス言葉辞典 第三版』を作成することにあるが、それと平行して、早稲田大学キャンパスことばとされる個々の語について掘り下げて解明することもおこないたい。第2回以降は、手始めに「馬場歩き」についてのいろいろな要素を調査・検証のうえ、明らかにしていきたい。

    澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗