目次
1 われわれはまだ「馬場歩き」を知らない
「馬場歩き」という言葉を知っているだろうか。早稲田大学の学生であれば、かなりの割合の人が認知しているこの言葉について、実は私たちはまだ何もわかっていない。というのも、この言葉はいわゆる「早稲田大学キャンパスことば」と呼ばれる、早大生に特有の言葉であって、早稲田大学の学生や卒業生などにしか認識されておらず、一般の辞書には掲載されずにほとんど口伝えで継承されているため、明確な定義や語釈が不明なのである。
とはいえ、多くの早稲田大学の学生に「馬場歩き」は「早稲田大学早稲田キャンパスや戸山キャンパスから高田馬場駅まで徒歩で移動すること。」だと理解されていることが多い。しかしながら、ネット上には、馬場歩きについてさまざまな言説が飛び交っている。ここにその一部を紹介してみよう。以下、引用するインターネットサイトの最終閲覧日は全て2025年7月11日である。
2 「馬場歩き」に関する巷の言説
2-1 「馬場歩き」の方向はどっち?
早稲田大学の広報Webマガジンである「早稲田ウィークリー」が、2025年4月に「馬場歩き発掘マップ」という特集を公開した。そこにはこのように書かれている。
JR山手線・西武新宿線・東京メトロ東西線の高田馬場駅~早稲田キャンパス間を歩くことを指す、早大生用語の一つ、“馬場歩き”。(早稲田ウィークリー「馬場歩き発掘マップ」)
また、早稲田大学の公式HPには、2015年に公開された「馬場歩き」という記事が掲載されている。そこには次のような説明がある。
高田馬場駅と早稲田キャンパス間を通学するには、「地下鉄東西線に乗る」「バスに乗る」「徒歩」の3通りがあります。その中で、高田馬場~早稲田キャンパスを歩くことを学生たちは「馬場歩き」と呼んでいます。留学生のみなさんは、「Baba Walk」とも言うようですね。(早稲田大学「馬場歩き」)
この2つの記事を見ると、高田馬場駅から早稲田キャンパスの間を歩くことが方向を問わず「馬場歩き」と呼ばれているように解釈することもできるが、読みようによっては高田馬場駅→早稲田キャンパスの一方向のみを表すようにも感じられ、少し確証が持てない。そして、早稲田大学の公式広報誌やHPがこのようにいうのだから、「馬場歩き」の定義はこれでいいかというと、そうではない。キャンパスことばは大学生のものであって決して大学のものではない。
他の言説も見てみよう。早稲田大学の卒業生であるタレントのアンゴラ村長氏は、次のように述べている。
馬場歩きとは、高田馬場駅から早稲田大学までの25分くらいの道を歩くことです。〈中略〉もちろん地下鉄に乗れば、高田馬場駅から大学最寄りの早稲田駅までビュンッと行くことができます。それに乗るのも良いですし、でも友達とダラダラおしゃべりしながら歩くのもとても乙なのです。それも含めて大学生活なのです。(さんたつ「アンゴラ東京めぐり」)
やはり、高田馬場駅→早稲田大学の一方向のみを表す言葉として認識されている。なお、同記事によるとアンゴラ村長氏は「2017年頃まで、早稲田大学に通ってい」たそうである。
ほかにも、高田馬場駅→早稲田大学の方向を歩くことを指して「馬場歩き」と呼ぶ例は、ネット上に多く見受けられる。
高田馬場から早稲田キャンパスまで歩くことを指す。(現役早大生が伝える!早大生活ナビ)
高田馬場駅から早稲田大学までのおよそ20分の距離を歩く事を馬場歩きと言います。(早稲田大学生名物、馬場歩きといふもの)
しかし一方で、その逆の早稲田大学→高田馬場駅の方向しか「馬場歩き」と認めない言説も見られるのである!
馬場歩きとは、早稲田から高田馬場まで歩く事を言う。〈中略)因みに、高田馬場から早稲田に向かうのには特に名称が無く、もっぱら早稲田から高田馬場に向かって歩く場合のみが言われる。(ニコニコ大百科「馬場歩き」)
なお、次のようなものも早稲田大学→高田馬場駅の方向で捉えていることが確認できる。
学生時代には早大から高田馬場までの通りを歩いて帰ることがよくありました。いわゆる「馬場歩き」と呼ばれる行動で…(デヤブロウ「【銭湯巡り】新宿区・世界湯/馬場歩きの後で行ける早大生へオススメ銭湯」)
「早稲田大学の同級生として出会った2人。早稲田キャンパスから高田馬場駅まで歩きながら話していた学生の頃のように、仲の良い友人として何気ないトークを繰り広げる番組」・・・という意味でタイトルをつけましたが…(TBSラジオ「サスペンダーズの馬場歩き」)
このように、「馬場歩き」とは、高田馬場駅と早稲田大学の間をどの方向で歩くことを意味するか、そんな基本的なことすら明らかになってはいないのである。
2-2 「馬場歩き」の道はどれ?
実は「馬場歩き」と呼べるルートも少し曖昧である。方向はともあれ、高田馬場駅と早稲田大学の間を歩くことを意味するとなると、その出発点と終着点は決められていることになるが、途中の道はどこを通れば「馬場歩き」と言えるのだろうか。
もちろん、最も基本的なルートは早稲田通りを通る道だと考えることができる。早稲田キャンパスや戸山キャンパスと高田馬場駅をつなぐ早稲田通りは、その地下に地下鉄東西線が走っており、この道を通る「馬場歩き」はまさに地下鉄での移動の代わりになる。

図1 早稲田大学~高田馬場駅間の地図(Google Maps©)
各キャンパスと高田馬場駅を結ぶ道は早稲田通りが有名だが、他にもルートがあり得る。
先述の「早稲田ウィークリー」による馬場歩き特集では、馬場歩きをするにあたって通ることのできるスポットが多く紹介されている。そこに挙げられているものを見ると、多くが早稲田通り沿いの店だが、中には「サイゼリヤ 西早稲田店」や「Le Cafe RETRO(閉店)」「戸山公園」など、早稲田通りと平行に走る諏訪通り沿いのスポットもある。また、掲載されている「馬場歩きイラストマップ」には、早稲田通りのみならず諏訪通りや新目白通り、明治通りが描かれている。
また、先述の「ニコニコ大百科」では、「最近、大学側の対応で、学生会館からの馬場歩き経路が捻じ曲げられた。学生には、なるべく大通りを通るよう、注意を促している。」とあるように、早稲田大学学生会館を起点とした経路に言及がある。学生会館は諏訪通り沿いにあることから、「学生会館からの馬場歩き経路」とは諏訪通りを通る経路であると考えられる。これをも「馬場歩き」の一経路と考えているということになる。「馬場歩き」と言えるルートは早稲田通り以外にも可能なのかどうか、検証が必要であろう。
さらには、高田馬場駅と早稲田大学をつなぐ「馬場歩き」の起点と終点についても、早稲田大学とは、早稲田キャンパス、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスのうちいずれを指すのか、定かではない。早稲田大学の本部がある早稲田キャンパスは入りそうであるが、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスは「馬場歩き」の始まりや終わりの地点と考えて良いのだろうか。こちらも検証が必要である。
2-3 「馬場歩き」はいつからあるの?
「早稲田ウィークリー」には、高田馬場経済新聞の記者・田中健一朗氏が寄稿しており、そこに「馬場歩き」の成立に関する興味深い発言がある。
「馬場歩き」という言葉は、どこから生まれたのでしょうか?
複数の知人に確認したのですが、現在50歳以上の卒業生は現役時代に「馬場歩き」という言葉を使っていなかったそうで、比較的新しいワードなのかもしれません。
ここでの「現在」とは、2025年4月時点であろうから、1975年生まれより上の人は「馬場歩き」を使っていないということになる。高校卒業後すぐ18歳で大学に進学すると仮定すると、1994年入学以降の学生から「馬場歩き」は生まれ、2025年現在まで約30年の歴史を持つ言葉だということになる。これが本当に正しいのか、またこの言葉の成立当初はどのような意味で使われていたのか、「馬場歩き」の歴史についてはなお調査が必要である。
3 まとめ
以上のとおり、巷間でささやかれている「馬場歩き」についての言説を概観しつつ、「馬場歩き」について未解明の点が豊富にあることを確認してきた。こういった言説のうち、いったいどれが真実なのだろうか。確かめてみるしかない。
私たち「日本語学(国語学)研究班」の目的は『早稲田大学キャンパス言葉辞典 第三版』を作成することにあるが、それと平行して、早稲田大学キャンパスことばとされる個々の語について掘り下げて解明することもおこないたい。第2回以降は、手始めに「馬場歩き」についてのいろいろな要素を調査・検証のうえ、明らかにしていきたい。
澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗
