目次
1 未知の世界「理工キャン」
あなたは早稲田大学西早稲田キャンパス、通称「理工キャン」に行ったことがあるだろうか。
早稲田大学の本キャンや文キャンから15分~20分程度歩くと、そびえ立つコンクリートの要塞が目に入ってくる。「工場」と名高い配管設備きわだつ建物の中には、基幹理工学部、創造理工学部、先進理工学部という3つの理工系の学部とその大学院が備わっており、そこでは自然科学知の申し子たちが日夜研究と教育に邁進しているのである!……というのが、われわれの勝手な理工キャンのイメージである。
日本語学(国語学)研究班のメンバーは、いまのところ文キャンと本キャンの所属者しかおらず、理工キャンパスとそこにおけるキャンパスことばの実態は謎に包まれていた。この研究班の前身である「国語学研究班」が1997年に刊行した『早稲田大学キャンパス言葉辞典』も、使用度調査の対象を本キャンと文キャンの学生のみに絞っており、理工キャンの情報は皆無である。とはいえ、メンバーの所属する学内のサークルにも理工キャンの学生は存在するし、理工キャンは本キャンや文キャンから徒歩圏内で高田馬場駅にも近い。同じ早稲田大学なのだから早稲田文化を共有しているはずで、理工キャン特有のキャンパスことばはあるだろうが、本キャンや文キャンで多くの学生が使う言葉は理工キャンの学生にも当然使われているだろう。たとえば「馬場歩き」など――。と、思っていたのである。
2025年6月12日――。あふれる好奇心を抑えきれず、ついにわれわれは理工キャンパスに乗り込み、調査を敢行した。
2 難航する調査
午後1時半すぎ、明治通り沿いの明治門から乗り込んだわれわれは、どこがキャンパスの入口かわからないことにビビりつつ(正門はもっと南側にあった)、思いのほかおしゃれな建物と素敵な中庭に圧倒されながらも、学生の影がほとんど見えないことに違和感を感じていた。学部・大学院合わせて1万名以上いる(早稲田大学HP「学生に関する情報」学生に関する情報 – 早稲田大学より)という学生はいったいどこへ隠れているのだろうか。
ともかく、調査を開始しよう。今回は理工学部に全くつてがないため、完全に飛び込みでの街頭アンケート式である。班員5名が調査用紙を片手に、理工キャンパス内へ散らばってゆく。調査用紙はいつもの〈こちら〉。
まずは庭園のベンチに一人腰掛ける青年に声をかける。理工学部2年の学生さんだという。快くアンケートに回答していただき、貴重なデータを採集することに成功。調査の順調な滑り出しを感じ安堵する。よし、この調子でどんどんアンケートをとっていこう!……が、しかし。結論から言うと、筆者はこの最初に声をかけた1名からしか、「馬場歩き」に関するアンケート結果を回収できなかったのである。もちろん、その後理工キャンの学生に声をかけなかったわけではない。15名ほどに声をかけることができた。中には話をきいてもらえない場合もあったが、10名ほどは足を止めて耳を傾けてくださったように思う。しかし、調査用紙に回答を書いてもらうまでには至らなかったのである。
理由はいくつかある。そもそも、この調査は学部2年生以上を対象とし、大学院生は対象外としている。声をかけた中には学部1年生や大学院生が多く、調査の対象外となってしまったのである。とはいえもちろん、学部2年生以上の方もちゃんと見つけることはできた。数にして5名ほどだろうか。しかし、彼らはみな「馬場歩き」を知らない、もしくは使わないという回答だったのである!こちらで用意したアンケートの内容は、「馬場歩き」という語の使用者の意識調査だったため、使わない方は対象外となってしまう。調査は難航を極めた。
3 理工キャンの特徴
強烈な理工キャンショックを受けつつ、調査は1時間で終了した。班員5人で集められた調査結果は11名分。おそらくこの10倍ほどの人には声をかけたはずである。
調査の印象を話し合ったところ、やはり理工学部には「馬場歩き」を知らないもしくは使わないという人が、全体の6~7割はいそうだということに全員が同意した。また、サークルに所属していないという人もかなり多く、過半数はいそうだという感触であった。その中で、「馬場歩き」を使うと答えた11名のうち10名までがサークルに所属しているとの回答だったため、理工キャンの学生はサークルに所属しない限り、「馬場歩き」を知ったり使ったりする機会が発生しないのだと思われる。一方の本キャンや文キャンの学生はサークルに所属していようがいまいが、アンケートをとった全員が「馬場歩き」を使うという回答であった。
ただし、「馬場歩き」を使うとした11名の回答からは、それぞれの項目において、本キャンや文キャンとさほど異なる傾向は見られなかった。しいて言えば、理工キャン→馬場を徒歩で移動することを「馬場歩き」と言えると回答した人が少し多く(第2回参照)、諏訪通りルートの許容度が少し高い(第3回参照)くらいだろうか。それでも、理工キャン→馬場の意味を可とする理工キャン学生は11名中4名で、36%にしかならない。やはり「馬場歩き」は早稲田↔馬場を歩き、そのルートのメインは早稲田通りであるという本キャンと文キャンの学生と同じ意識が、理工キャンの学生にも見られたのである。
4 なぜ理工キャンでは「馬場歩き」が使われないのか?
同じ早稲田大学の学生であり、本キャンや文キャンと高田馬場駅周辺という生活圏を共有しているにもかかわらず、なぜ理工キャンでは「馬場歩き」が使われないのだろうか。これについては先に触れた庭園の青年が、示唆に富む情報を提供してくれた。その方によると、理工キャンから高田馬場駅まで歩くことはよくあるのだそうである。徒歩以外の手段として、理工キャン↔高田馬場駅間を運行する路線バスがあるにはあるが、そもそも馬場までさしたる距離でもなくてわざわざバスを使うほどでもないので、むしろ徒歩が理工キャン↔馬場間の移動手段の基本だとのことであった。Googleマップで確認したところ、理工キャン↔馬場間は路線バスを利用すると10分、徒歩だと13分で移動できるようである。これではほとんど時間も変わらず、バスを使わないのも納得である。
「馬場歩き」の意味を思い出してほしい。早稲田大学HPには次のように紹介されていた。
高田馬場駅と早稲田キャンパス間を通学するには、「地下鉄東西線に乗る」「バスに乗る」「徒歩」の3通りがあります。その中で、高田馬場~早稲田キャンパスを歩くことを学生たちは「馬場歩き」と呼んでいます。(早稲田大学「馬場歩き」)
本キャン(早稲田キャンパス)から高田馬場駅まで、地下鉄東西線を使うと約8分、徒歩だと20分ほどかかる。文キャンも同様である。時間と労力のことだけを考えれば、東西線を使うのが理にかなっている。現に早稲田-高田馬場間の電車の通学定期を所有している学生も多い。つまり、早稲田↔馬場間は東西線での移動が基本である中、わざわざ徒歩で移動することがあるためその行為を「馬場歩き」と命名しているのである。
これは言語学の有標/無標という考え方で、この場合東西線での移動が無標(Unmarked)、徒歩での移動が有標(Marked)であると言い換えることができる。無標の事象は当然のことであるため特別な名称がなく、「馬場電」や「馬場鉄」などとは言わない。しかし有標の事象は特筆すべきことであるため、それを指す特別な語「馬場歩き」が必要となるのである。このような有標・無標が語彙に表現されるのはよくあることで、たとえば男性の医者のことは「男医」とは言わないのに女性の医者のことは「女医」と言い、男性の王のことは「男王」とは言わないのに女性の王のことは「女王」と言うのが典型的である。この場合、医者や王が男性であることは当然で無標であり、それらが女性であることは特筆すべきで有標であるという考えが(その適否はどうあれ)社会に存在するため、それが語彙のあり方に反映されているのである。
「馬場歩き」の話に戻ると、理工キャンの学生にとっては理工キャン↔馬場間を徒歩で移動するのが基本、つまり無標なので、それに対して特別な言葉で表現する必要がない。その行為をわざわざ「馬場歩き」と呼ぶ必要がないのである。彼らにとって馬場は当然、歩いて行く場所なのだから。
5 まとめ
今回は、理工キャンでの調査の様子とその結果・考察を記述した。まとめると以下の通りである。
- 理工キャンの学生は大部分が「馬場歩き」を使わない。
- 「馬場歩き」を使う理工キャンの学生は多くがサークルに所属している。
- 理工キャンの学生が「馬場歩き」を使う場合、本キャンや文キャンの学生とその使用意識は大きく変わらない。
- 理工キャンの学生が理工キャン↔馬場間を徒歩で移動することを「馬場歩き」と呼ばないのは、徒歩での移動が基本だから。
理工キャンでの調査でなにより驚いたのは、同じ早稲田大学の学生であり、キャンパスも徒歩圏内という近さでありながら、理工キャンパスでは本キャンや文キャンで誰もが使っているキャンパスことばを共有していないということである。まさに「キャンパスことば」は「大学ことば」などではなく、キャンパスという場所に依存することばなのだということを強く感じることができた。裏を返せば、理工キャンでは本キャンや文キャンにはない独自のキャンパスことばが発展している可能性があるだろう。『早稲田大学 理工キャンパス言葉辞典』を作ることができるのではないかと思える体験であった。
澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗
