目次
1 「馬場歩き」ってどこからどこへ行くの?
いったい「馬場歩き」とはどこからどこへ行くことを意味して使われているのだろうか。
第1回では、馬場歩きについて、巷では「高田馬場駅から早稲田大学まで歩くこと」と、「早稲田大学から高田馬場駅まで歩くこと」またはその両方という異なる言説がささやかれている様子を確認した。これでは「あした馬場歩きしよう。」と話した2人が、高田馬場駅と早稲田大学にそれぞれ集合して永遠に会えない事態が生じてしまうかもしれない。今こそわれわれ日本語学(国語学)研究班が、早大生の「馬場歩き」に関する言語意識を解明しようではないか。でも、そもそも、行く方向の認識が人によって違うなどということが本当におきているのだろうか。

図1:早稲田大学の早稲田キャンパス、戸山キャンパス、西早稲田キャンパスと高田馬場駅の位置関係を示す地図(Google Maps©)。黄色の線で示した道が「早稲田通り」であり、その地下を地下鉄東西線が走っている。ここを徒歩で歩くのが「馬場歩き」の基本的意味とされる。
実は、「日本語学(国語学)研究班」の前身である「国語学研究班」が1997年に刊行した『早稲田大学キャンパス言葉辞典』には、このように書かれている。
ばばあるき【馬場歩き】
早稲田大学、または早稲田から高田馬場まで歩いて行くこと。「どうやって帰る?」「ばばあるきで」
少なくとも1997年時点では、早稲田大学→高田馬場駅の方向だと認識されていたようである。
また、早稲田大学のサークルである早稲田大学辞書研究会が2015年に刊行した『早稲田大辞書 2015』にはこのようにある。
ばばあるき【馬場歩き】
早稲田キャンパス・戸山キャンパス近辺または西早稲田キャンパス近辺と、高田馬場駅の間を歩くこと。(用例)「馬場歩き途中にある店」
方向には言及がなく、キャンパスと高田馬場駅の間を移動することを方向を問わず言うように見える。また道の一端は高田馬場駅だが、もう一端には早稲田キャンパス・戸山キャンパスとともに西早稲田キャンパスも挙げられている。
さらに、早稲田大学のサークルである早稲田大学マイルストーン編集会が毎年作成している、早稲田大学の情報雑誌『Milestone Express』には、「全訳早和辞典」として早稲田用語辞典が特集されており、現時点での最新刊である2025年発行の第19版には、このように書かれている。
ばば-あるき【馬場歩き】
早稲田大学の本キャンや文キャンから高田馬場駅まで直接歩くこと。
なんと、年代にかかわらずやはり早稲田大学→高田馬場駅の方向だという認識が存在することがわかる。また、道の一端である早稲田大学側は本キャンと文キャン(後述)のみであり、いわゆる理工キャンである西早稲田キャンパスは挙げられていない。
つまり、ネット言説のみならず、早稲田大学に関係する各辞書においても、語釈がゆれているのである。
2 いよいよ調査!
われわれは、「馬場歩き」について解明すべく、まず2025年5月~6月に本キャン、文キャン、理工(りこ)キャンの学生の意識調査を行った。本キャン、文キャン、理工キャンとは、早稲田大学のキャンパスことばで、下記のキャンパスを指す。位置関係は図1の地図を見られたい。
- 本キャン:早稲田キャンパス=政経、商、法、教育、社会科学、国際教養学部のキャンパス
- 文キャン:戸山キャンパス=文、文化構想学部のキャンパス
- 理工(りこ)キャン:西早稲田キャンパス=理工学部のキャンパス
調査は対面で質問項目を説明しつつ、調査用紙に書き込んでもらう形でおこなった。また、調査対象者は早稲田大学の学部2年生以上で、「馬場歩き」という言葉を使う学生である。1年生を対象にしなかったのは、調査時期が5月~6月であり、まだ1年生は入学して2ヶ月ほどで「馬場歩き」という言葉になじみがない可能性があるためである。また、大学院生は大学院内での独自の言語生活や言語実態があることが考えられ、それが学部生とは何らかに異なるものである可能性があるため、対象から外した。有効回答者数は文キャン21名、本キャン12名、理工キャン11名の計44名である。調査用紙は〈こちら〉。 なお、以降は「高田馬場駅」のことを単に「馬場」と略称する。また、本キャンと文キャンは近い位置にあるためまとめて「早稲田」と呼んで理工キャンの「西早稲田」と区別することがある。
3 歩く方向のスタンダードは
アンケート調査にて、このような質問をした。
「馬場歩き」という言葉は、どこからどこまでを徒歩で移動するという意味で使いますか?
これに対するキャンパスごとの回答をまとめると下記の通りである。


表1は回答者の数、グラフ1は母数に対する回答率を示している。これらからわかるように、本キャン(もしくは文キャン)つまり早稲田→馬場の方向はほとんどの回答者が「馬場歩き」と呼べると回答している。一方で、逆の馬場→早稲田という方向を回答したのは約半数であった。実は早稲田→馬場の方向のみを可とした回答者は20名、早稲田↔馬場の双方向を可とした回答者は19名おり、馬場→早稲田を可としている人はほぼ全員が早稲田→馬場も可としているため、実際は全体(44名)の約半数が早稲田→馬場の一方向のみ可、約半数が双方向可という結果である。馬場→早稲田が可で早稲田→馬場は不可という回答者は2名のみであった。これをまとめると、「馬場歩き」は早稲田大学の本キャン・文キャンから高田馬場駅方面へ歩くのがメインだが、逆も半数の学生には使用されているということになる。
また、馬場歩きに対する意識はキャンパスごとにあまり差がないことも見て取れる。早稲田→馬場を可とする学生はどのキャンパスも多く、理工キャンでちょっと少ないものの、7~9割の水準を保っている。馬場→早稲田を許容する学生の割合は各キャンパスで違いがなく、文キャンが少し少ない程度で、どのキャンパスの学生も5割前後である。
さらに、本キャンの学生も文キャンの学生も、本キャン→馬場を可としている回答者はすべて文キャン→馬場を可と回答していた。逆もしかりである。どうやら馬場歩き仲間として、両キャンパスの学生はお互いのキャンパスを認め合っているようだ。なお、理工キャンの学生2名のみが本キャン→馬場を可としつつ、文キャン→馬場を不可と回答していた。理工キャンの学生からはわずかではあるが、「馬場歩き」を本キャンの特権とする意識が垣間見える。
理工キャン→馬場は11名と全体の4人に1人で許容度は高くない。理工キャンの学生でも11名中4名と許容する人は半数に満たなかった。理工キャン特有の言語意識については、第4回でまた詳しく述べたい。
4 「馬場歩き」の特殊性
「馬場歩き」が早稲田→馬場をスタンダードとする一方で、半数は早稲田↔馬場という双方向の移動が可能と考えていることがわかったが、ここで「馬場歩き」という語が日本語全般の中で特殊であることを主張したい。
日本語には、「○○歩き」という語構成を持つ語が多く存在する。『日本国語大辞典』第二版(小学館)で調べたところ、「○○歩き」は78項目が立項されていた。「あるき」の異語形と考えられる「ありき」の形も含め、これらを語構成ごとに分類すると表2の通りである。

「馬場歩き」は当然ながら一般の辞書には載っていないが、ここに分類するとしたら「場所+歩き」であろう。辞書の「場所+歩き」23語をさらに意味別に分類すると表3の通りになる。

表3をみると、「場所+を+歩く」と「場所+へ+歩く」の語がほとんどを占めている。「馬場歩き」は、「馬場を歩く」ことを意味するわけではない。また、「馬場へ歩く」ことを意味する場合もあるが、「馬場から歩く」も使用者の約半数が許容しており、その場合「馬場へ、または馬場から歩く」の意味を持っている。しかし、日本語における他の「○○歩き」には、「場所へ、または場所から歩く」の意味を持つ語は存在しないのである。
表3の「場所+から+場所+へ+歩く」がそれにあたると思われるかもしれないが、そうではない。例えば「県歩き」の語釈に「主に平安時代、地方官が、任国から任国へと地方を転々と勤務して回ること。」とあるように、「場所+から+場所+へ+歩く」は「場所から場所へ転々として回る」ことを意味する。「馬場歩き」は「馬場から馬場へ転々として回る」ことでは断じてない。つまり、「馬場歩き」は同じ語構成をもつ語の中で、極めて特殊な意味を持つのである。
さらに言うと、「馬場歩き」が「場所へ、または場所から歩く」意味だと説明したが、厳密には「特定の場所X(早稲田大学)から特定の場所Y(高田馬場駅)へ、または特定の場所Yから特定の場所Xへ歩く」ということになる。この場合、「馬場歩き」という語形に明示されているのは場所Y=高田馬場駅だけであり、場所Xにあたる早稲田大学は「馬場歩き」という語形の上には明示されていない。このことは、ほかの全ての「場所+へ+歩く」の意味を持つ「○○歩き」には見られない特徴である。他の「○○歩き」は行き先の場所は特定しても、出発点はどこからでもかまわない。
しいていえば、「外歩き」(家を出て他の家を訪ねあるくこと。)や「江戸歩き」(江戸府外とされた遊里吉原に住む者が、郭外の町へ出歩くこと。深川などの岡場所でもいった。)のような語は、特定の地名ではなくその人の「家」や「住みか」を出発点とすることが前提とされている。このことから考えると、「馬場歩き」においては、特定の場所でありながらもはや「早稲田大学」がその語の使用者の「家」として前提されていることになる。ここには早稲田大学に身を置く早大生の立場や視点が無意識に言葉へ反映されているのであろう。「馬場歩き」は自らのhomeを早稲田大学であると自認する態度から生まれたのである。また、その「早稲田大学」は厳密には本キャンか文キャンということになるため、「馬場歩き」は両キャンパスの学生の視点が内面化された語だと言える。おそらくこの語を作り出した層も、本キャンか文キャンの学生である可能性が高いだろう。
5 まとめ
結論をまとめると以下の通りになる。
- 「馬場歩き」は約半数が早稲田大学↔高田馬場駅の双方向の移動、約半数が早稲田大学→高田馬場駅の一方向のみの移動を指すと認識している。
- 所属するキャンパスによってこの認識にほとんど差はない。
- 同じ早稲田大学ではあるが、理工キャン↔高田馬場駅の移動を指す使い方はあまり許容されない。
- 「馬場歩き」がもつ「特定の場所X(早稲田大学)から特定の場所Y(高田馬場駅)へ、または特定の場所Yから特定の場所Xへ歩く」の意味は、日本語における「○○歩き」の中で極めて特殊。
- 「馬場歩き」には、早稲田大学をhomeと考える早大生の心性が反映されている。
おそらく、「馬場歩き」は元々、早稲田大学→高田馬場駅という方向で歩くことを指して生まれ、「場所+へ+歩く」という特に珍しくはない意味の語だったのではないか。アンケートで早稲田→馬場を可とする回答者がほとんどを占め、逆の馬場→早稲田は半数に留まったことからも、早稲田→馬場の方向が本義(本来の意味)であると解釈できる。そのうち、使用者によって馬場→早稲田の方向を歩くという派生義(本義から派生してできた意味)が生み出され、早稲田↔馬場という双方向の移動を可能にしたのではないか。
なお、今回のアンケートは調査数があまり多くないため、正確を期すにはより多人数を対象にした調査が必要となるが、本キャンと文キャンの学生だけをみると、早稲田↔馬場の双方向を可とする回答者が、2年生は37%、3年生は42%、4年生以上は54%という結果になっており、学年が上がるほど双方向の意味を認識する率が上がっていった(グラフ2)。

早稲田大学になじむほど早稲田↔馬場双方向の意味を獲得していくのであり、この意味は派生義ながら早稲田大学ヘビーユーザーにとっての「馬場歩き」の真義となっているのかもしれない。これを利用すれば、早稲田↔馬場の双方向の意味で「馬場歩き」を使っているかどうかが、早稲田にどっぷり浸かっているかどうかの指標になることも考えられる。さて、あなたはどの意味で「馬場歩き」を使っていただろうか。
そして辞書に載らない「○○歩き」は全国にあると思われるが、「馬場歩き」と似た意味の「○○歩き」をご存知の方は、ぜひ日本語学(国語学)研究班までお知らせいただきたい。
澤崎文、内山咲、宇津木友哉、二階堂友大、黛直汰朗
